境野一之の作品を中心に、熊本県にゆかりのある作品を常設展示しています。あわせて企画展も開催し、優れた芸術作品を紹介しています。
美術館から舞鶴城公園までは、モノレール(勾配30度、全長240m)が運行しており、5分間のミニトリップが楽しめます。 展望所から広がるのは豊かな緑と不知火海。四季を通じて自然の景観も鑑賞できます。
建物もモノレールもバリアフリーデザインで、誰もが楽しめる親しみやすい美術館です。周辺の野外彫刻巡りも好評です。



つなぎ美術館
〒869-5603 熊本県芦北郡津奈木町大字岩城494
TEL:0966−61−2222 FAX:0966−61−2223


境野一之(1900〜1989)は福岡に生まれ、満州や東京で青年時代を過ごしました。戦後は妻の故郷熊本市に定住し、 美術教師をしながら独自の抽象作品を描き続けました。没後、作品のほとんどが津奈木町に寄贈され、美術館の収蔵品の中心となっています。
作品は、青年期に過ごした大陸の思い出をテーマとしたものが多く、心に残った心象風景を鮮やかな色と詩情豊かな形で表現しました。 油彩抽象画のほかに、ヨーロッパ旅行で描いた風景画や、作品の下絵となったスケッチ、そして友人に送った絵ハガキなど、約150点の境野作品を収蔵しています。


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断層
冬山
ドナドナ
エアメール
いかり
白い形
青い山
森の中
ノートルダム
バンセンヌ古城
闘牛


■水彩絵ハガキ

これらのハガキは、境野が親しくしていた夫妻に送り続けたものです。美術館では50枚を収蔵しており、 約半数はヨーロッパ旅行の思い出がテーマとなっています。明るい色彩と軽やかなタッチから、画家の楽しい滞欧生活がうかがえます。

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阿蘇郡小国町生まれの坂本善三(1911〜1987)は、「グレーの画家」「沈黙の錬金術師」として知られている抽象画家です。 晩年はリトグラフ作成にも力を注ぎ、1980年代にパリで発表した作品は、高く評価され、国際的にも注目されました。

「構築(壁A)」1960年 油彩・カンバス 161.8×97.0cm


ヨーロッパの壁面を描いた「壁シリーズ」の一枚です。坂本善三はヨーロッパ建築の色調や質感、 そして構造に影響を受け、独自の抽象表現を確立しました。 この作品は、ヨーロッパからの帰国直後に描かれたもので、具象から抽象へ移行する時期の代表作です。


宮崎静夫(1927〜)は阿蘇郡小国町で生まれました。15歳で満蒙少年義勇軍に志願し満州へ渡り、続く軍隊生活、 シベリア抑留を経て帰郷。海老原喜之助に師事し、第2次エビ研に入所しました。1961〜67年に描い<ドラム缶シリーズ>は、各界から高い評価を受け、 第5回シェル美術賞をはじめ数々の賞を受賞しました。その後渡欧し、フランドル美術の技法を独自に取り入れ、 1970年より<死者のために>シリーズにおいて自らの過酷な戦争体験や心の残像をモチーフにした絵を描き続け、多くの人の共感や感銘を得ています。

「道標」1997年 油彩・カンバス 100.0×100.0cm

この作品は1970年「夏の花」よりはじまる<死者のために>シリーズの中の1つです。 このシリーズにおいて、作者の故郷阿蘇の原野とも見てとれるシベリアの原野、軍靴、頭蓋などのモチーフは繰り返し表れますが、 この作品では、風上を見つめるカラスが大変特徴的です。焼け落ちた建物をはじめとした全く「生」を感じさせないモチーフの中に、死の象徴と言われるカラス。 この道標の先には一体何があるのでしょうか。

「とり」1985年 水彩・紙 35.0×54.0cm

宮崎静夫は水彩画においてもオリジナリティ豊かな世界を確立しています。 細密かつ正確な描写からは 「ものをきちんと描けなければメッセージは伝わらない」という氏の姿勢が読みとれます。
この渡り鳥の姿は<死者のために>シリーズの「冬」において中心的モチーフとなっており、 望郷の念を残したまま、ついに帰ることなく逝ってしまった若い兵士を表しています。

松本得三(1921〜)は津奈木町に生まれ、東京で油絵を学び、30代で帰郷。以後、水俣地方の風景と日常を描いてきました。 メッセージ性の強い社会に訴えるような作品を描く時期もありましたが、最近は身の回りの風景や人物などを親しみの持てる柔らかい色調で描いています。

「うたせ 赤」1994年 油彩・カンバス 90.9×72.7cm

不知火海の伝統的な底引き網漁船「うたせ船」を描いたものです。夕日を浴びて白い帆が赤く染まった様子が表現されています。 他に、青、白、黄などの「うたせ」も残されています。