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〒868-0302
熊本県球磨郡錦町一武1587
TEL:0966-38-0009
FAX:0966-38-0008 |
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観光情報【穴場探検!】 |
| 行ってみたい場所をクリックしてね! |
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| 大平渓谷 |
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| 県の「名水百選」のひとつ。球磨川の支流にあり、山女魚釣りやキャンプで賑わいます。 |
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| 新宮寺 |
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| 西久保宇野の高台にある延命山新宮寺。本堂に安置される六体の観音はめずらしく貴重なもの。 |
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| 剣豪丸目蔵人佐の墓 |
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| 当町のキャッチフレーズ「剣豪〜」に表される丸目蔵人佐の墓。切原野の緑深いところにあり新緑の季節に訪れてみては |
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| ふるさとの森 |
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| 総面積の59%が森林の錦町。昭和58年に実施したふるさと森事業は緑を守り増やす益々大切なものとなっています。 |
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| 木本神宮 |
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| 永正五年相良十三代長毎公により建立されました。11月上旬の午の日に例祭が催されます。 |
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| 一武八幡宮 |
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| 応神天皇、神功皇后、玉依姫命をおまつりした神社。毎年十一月二十日に例祭日になっていす。 |
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| 京ヶ峰横穴古墳 |
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| 県指定遺跡で、6世紀中頃に作られたものです。古墳の穴の周りには、円や矢立人物等が描かれています。 |
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| 六調子酒造 |
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| 球磨焼酎は減圧蒸留酒が、九割以上を占める中、五百年の伝統を受け継ぐ常圧蒸留酒を唯一量産しているメーカーです |
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| 土屋の観音堂 |
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| 総合グランドの西側を北に向かった土屋地区にある「土屋観音堂」は、相良三十三観音めぐりの三十一番。本尊は聖観音です。 |
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| 円鏡庵跡(安心の墓) |
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| 元臨済宗端祥寺末の庵寺の跡で開祖は僧安心だったと言われる。毎月28日に安心様のお講を開いて念仏を唱えられておられるそうです |
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| 寺原の薬師堂 |
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| 堂内には本尊の薬師如来坐像と脇侍、十二神将が祭られている。毎年旧暦の6月12日と12月12日には地域の人達で薬師様祭り(通称豆もらい)が催される。 |
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| 西大王神社 |
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| 昔から「作」の神様、「まむし」の神様として、大祭でつくられる「おもち」をお守りとして持参すると絶対にまむしに噛まれないと言われる。秋祭りに出かけては?! |
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| 下原地蔵菩薩 |
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| 座り地蔵としては管内一番大きい菩薩像です。願いを叶えてくださる地蔵様という風評があり、商売繁盛祈願に一度お参りしてみては。 |
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| 四ッ塚古墳群 |
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| 現在三基しか残っておらず三ツ塚となっている。残っている古墳で、最大のものは直径35メートル、高さ10メートルあり、形もほとんど崩れていない。 |
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| おたけ神社 |
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| 夫婦円満の神社で末永く幸せになりたい方はこの神社を参拝するとご利益があります。神社祭りは毎年12月15日に行われています。 |
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| 蛇篭鞍掛け水制工 |
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| 「うるおいのある川づくり」で魚や水生昆虫、草花など生態系にやさしい川づくりを検討した結果「水制工」を取り入れ、整備されたものです。 |
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| 飲み助の墓 |
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| 焼酎の里球磨地方に、生前球磨焼酎をこよなく愛した人物とおぼしき人の墓が3基ある。1つは多良木の青連寺に、残りの2つが我が錦町の木上地区に存在する。 |
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| 木上 加茂神社 |
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| 元木上村々社で、加茂御祖神 別雷神の二柱と、窪田越後(昭和55年合祀)を祭神とする。荒田大王神社ほか木上地区内の13社を飛び地境内として登記する。 |
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| 窪田越後の墓 |
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| 木上岩城の南西に、永禄2年(1558)相良義陽公から黒肥地の獺野原の戦いで功労のあった木上の地頭、窪田越後と朝鮮の役で戦死した孫大蔵の墓がある。墓は一般の墓地より奥まった所にあるが、標示などが痛んでいてどれが窪田越後の墓なのか判別しにくい。 |
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| ひごにしのむら駅 |
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| この駅は鉄筋づくりで35平方メートルの広さをもち、屋根付きホームは40メートルに延長されその壁にはカラータイルで、「フルーツの里」にちなんで錦町の特産品のナシ、モモ、メロンがレリーフのように施されている。 |
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| 常楽酒造株式会社 |
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| 常楽酒造は、創業大正元年。伝統の焼酎「秋の露」を筆頭に、地元町村とタイアップし特産品を原料としたリキュール酒の生産など、積極的に新しい製品づくりに取り組んでいます。」 |
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| 下篠のとどろ(一丸) |
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| 「球磨で一番下篠のとどろ 下にゃ蛇が棲むぶく立つる」と、球磨の六調子にうたわれている下篠のとどろは、錦町西一丸にあります。 |
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| 西乗寺(西 今山) |
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| 開教以来100年以上経過する「西乗寺」は錦町西今山の在にある。明治12年、宇ノ木浄証師によって現所在地に仮説教所が開かれ、二代目、宇ノ木洗心法師の大正7年、大空山「西乗寺」と号した。 |
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| 西迎寺(一武) |
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| 西迎寺の歴史をひもとくとその歴史は天正9年に遡る。現所在地(錦町一武下忠ヶ原)に教場が開かれたのは明治29年のことで、よく30年には初代住職 岡崎秀治師によって「西迎寺」を公称することとなった。 |
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| 長安寺(木上) |
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| 長安寺は木上北覚井(JA木上支所の裏、丘の上)にある。臨済宗妙心寺派(禅宗)であり、その開創は300年も前で、人々の信仰の場、心のよりどころとして、地域に深く根ざしている。 |
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| 忍成寺(錦町西) |
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| 浄土真宗本願寺派「忍成寺」は、念仏禁制の解かれた明治初期から下って明治23年、仮説教場として、「尾方逸心」師によってその基が開かれている。 |
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| 報恩寺(錦町一武) |
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| 浄土真宗本願寺派「報恩寺」は錦町一武土屋の在にある。開教は明治9年にまで遡り、同13年に説教所が開設され、同30年に大阪から寺号が移され「報恩寺」を号するに至る。 |
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| 対陽山 明覚寺(錦町木上) |
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| 桃山時代、加藤清正公の一族である加藤和守渋谷与左衛門重次が清正公と共に肥後に入国し、佐敷城城主となる。一寺を建立し、寺号を「恵妙寺」と号す。代々渋谷氏が住職の任につき16代のときに木上馬場に寺院を建立し、寺号を「明覚寺」と号し初代住職となる、3代目のとき現在地に移す。 |
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| 浄土宗 踊仏山智源寺 |
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| 寺歴は今から約300年と古く、火災があり寺は焼失するも本尊阿弥陀如来立像だけが火を逃れる。発見された時その姿が踊っているように見え、その事で山号を踊仏山としたと今に伝わる。 |
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| 加茂川湧水 |
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| 加茂神社のそばの水源は、近隣の人々の語らいの場であった湧水、今も加茂川水道組合と称され、由留木・十日市の大切な生活用水として利用されている。 |
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| 駅通り湧水 |
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| 年中枯れることなく湧き、昔と変わることなく澄んだ水は水量も豊富で、隣接する雑木林の地下まで水源が広がっている。居心地が良いのか小魚もたくさん棲んでいるそうです。 |
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| 迫の伊勢神宮一分社(勧請) |
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| 木上迫の県道沿い、藤倉家の敷地の一隅に伊勢神宮を祭った社が在る。これは、大正5年7月30日、藤倉巽氏により建立され、石造りの鳥居や2基の灯篭なども配置され、石造りの社には鏡やお札などが祭られているが個人的に建立されたものではかなりの規模で氏の信心深さが感じられる。 |
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| 杉湧水(すぎよご) |
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| 錦町木上上平良に位置するこの湧水は、明治以前からこの場所にあり、飲料や洗濯等に利用され、地域の住民の井戸端話の場所であった。杉の巨木の根元から湧き出していた事からこの名称で呼ばれ、現在に至っている。 |
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| 福永家湧水 |
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| 木上平野の地にて、養魚場を営まれていた福永さん宅の裏手、周囲を木立に囲まれて広さ役40平方メートル、水深30センチの湧水が湧き出している。 |
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| 休円坊の墓 |
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| 今から250年ほど昔、休円坊という僧が黒辺田野に住んでいました。ある時疫病が流行り、どんな薬も効目が無く、休円坊は自分の身を人柱にして疫病を退散させたと伝えられる。 |
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| 平野神社 |
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木上駅より西南へ3百mほどの所にある神社で現在の社殿は昭和33年に改築されたも。
鳥居正面にある池のために、以前は向かって右側より参道へ入っていたが、最近、平野区民が善意の資金を出し合い参道への橋が架けられ正面から入れるようになった。 |
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| 木上 ずいどう |
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木上山下地区の県道から北側のシラス台地に人工的に掘られた横穴で南北に貫通(約50m)している。中は、大人がゆったり直立歩行が可能です。戦時中は防空壕として、戦後は農作物等の倉庫として利用されていたようです。
見学は、「滝の水パークゴルフ場」受付で承諾を得て下さい。 |
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| 末吉稲荷 |
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| 一武下本別府、末吉家の敷地の一角にあり、道に面した参道・拝殿・稲荷殿で構成されている。参道には鳥居が立ち並びまた、拝殿・稲荷殿もとても立派な建物が配置されており、個人で建立された「お稲荷さん」への一家の信心深さが感じられます。毎年2月には、ご近所が集まり新春のお祭りが行われます。 |
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| 首なし地蔵尊 |
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